2005年11月13日

一事を必ずなさむと思はば

一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。

吉田兼好「徒然草」 第百八十八段

http://www.tsurezuregusa.com/180/188.html

 或者、子を法師になして、「学問して因果の理をも知り、説経などして世渡るたづきともせよ」と言ひければ、教のまゝに、説経師にならんために、先づ、馬に乗り習ひけり。輿・車は持たぬ身の、導師に請ぜられん時、馬など迎へにおこせたらんに、桃尻にて落ちなんは、心憂かるべしと思ひけり。次に、仏事の後、酒など勧むる事あらんに、法師の無下に能なきは、檀那すさまじく思ふべしとて、早歌といふことを習ひけり。二つのわざ、やうやう境に入りければ、いよいよよくしたく覚えて嗜みけるほどに、説経習うべき隙なくて、年寄りにけり。

 この法師のみにもあらず、世間の人、なべて、この事あり。若きほどは、諸事につけて、身を立て、大きなる道をも成じ、能をも附き、学問をもせんと、行末久しくあらます事ども心には懸けながら、世を長閑に思ひて打ち怠りつゝ、先づ、差し当りたる、目の前の事のみに紛れて、月日を送れば、事々成す事なくして、身は老いぬ。終に、物の上手にもならず、思ひしやうに身をも持たず、悔ゆれども取り返さるゝ齢ならねば、走りて坂を下る輪の如くに衰へ行く。

 されば、一生の中、むねとあらまほしからん事の中に、いづれか勝るとよく思ひ比べて、第一の事を案じ定めて、その外は思ひ捨てて、一事を励むべし。一日の中、一時の中にも、数多の事の来らん中に、少しも益の勝らん事を営みて、その外をば打ち捨てて、大事を急ぐべきなり。何方をも捨てじと心に取り持ちては、一事も成るべからず。

 例へば、碁を打つ人、一手も徒らにせず、人に先立ちて、小を捨て大に就くが如し。それにとりて、三つの石を捨てて、十の石に就くことは易し。十を捨てて、十一に就くことは難し。一つなりとも勝らん方へこそ就くべきを、十まで成りぬれば、惜しく覚えて、多く勝らぬ石には換へ難し。これをも捨てず、かれをも取らんと思ふ心に、かれをも得ず、これをも失ふべき道なり。

 京に住む人、急ぎて東山に用ありて、既に行き着きたりとも、西山に行きてその益勝るべき事を思ひ得たらば、門より帰りて西山へ行くべきなり。「此所まで来着きぬれば、この事をば先づ言ひてん。日を指さぬ事なれば、西山の事は帰りてまたこそ思ひ立ため」と思ふ故に、一時の懈怠、即ち一生の懈怠となる。これを恐るべし。

 一事を必ず成さんと思はば、他の事の破るゝをも傷むべからず、人の嘲りをも恥づべからず。万事に換へずしては、一の大事成るべからず。人の数多ありける中にて、或者、「ますほの薄、まそほの薄など言ふ事あり。渡辺の聖、この事を伝へ知りたり」と語りけるを、登蓮法師、その座に侍りけるが、聞きて、雨の降りけるに、「蓑・笠やある。貸し給へ。かの薄の事習ひに、渡辺の聖のがり尋ね罷らん」と言ひけるを、「余りに物騒がし。雨止みてこそ」と人の言ひければ、「無下の事をも仰せらるゝものかな。人の命は雨の晴れ間をも待つものかは。我も死に、聖も失せば、尋ね聞きてんや」とて、走り出でて行きつゝ、習ひ侍りにけりと申し伝へたるこそ、ゆゝしく、有難う覚ゆれ。「敏き時は、則ち功あり」とぞ、論語と云ふ文にも侍るなる。この薄をいぶかしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ思ふべかりける。


現代語訳はリンク先を参照してください。
http://www.tsurezuregusa.com/180/188.html

囲碁を使った例えがオセロに刷り変わっているなどかなり雑な部分もありますが、ま、現代語訳に期待する機能は備えています。

この話、一度どこかで読んだきりどこで読んだか思い出せないままでいて、いつのまにか中国のどこかの話なのだろうと思って探していたのだが、偶然再会することができた。徒然草だったのか。
出典は何なのだろうか?

100%コミットしてやると物事はなんでも異常に捗るということは、僕も入院中に偶然知った。
入院しているという環境的制限が、入院中でもできること以外物理的に不可能な状態にしていたので、それまであちこちで分散させていたエネルギーをひとつのことに集中できた。
まず最初は、ウェブサイトの更新しかしていないと、異常なペースで更新できた。それで今度は英語の勉強をしてみたら、これも異常に早く上達した。

サッカー審判手帳」も、「テレビの感想」も「ぱさど」も、このころに更新していたページがベースになっている。
英語も結局、僕の看板になってしまった

「どんな逆境にも、それと同等か、それ以上の利益の種子が隠されている」とは、ナポレオン・ヒルの言葉である。

Posted by kone at 2005年11月13日 00:37 | トラックバック
コメント

人間集中できるって大切なこと。
でも実際は、出来ないんだよね。

こねさんは、入院という精神的にも肉体的にも
辛いときに、有効に時間を使おうと思えるなんて!(ノб◇б)ノびっくり!!
やっぱり、頭が違うんだーー
スゴイ!!o(^▽^)/"

Posted by: PITO at 2005年11月17日 19:59

> > PITO さま

> 人間集中できるって大切なこと。
> でも実際は、出来ないんだよね。

そうなんですよね。
「何をどうやっていいのか分からない。」
「やっても結果を出せるか自信がない。無駄骨に終わっちゃいそうだ。」
「手軽で楽しいほかのことがある。」
だいたい、↑の3つが絡んで辞めちゃうんですよね。


僕の場合、先に覚えたスペイン語の経験から「こういう教材を使ってこういう風にやればたぶんうまく行くだろう」というみたいなのもありましたし。
「手軽で楽しい」もなにも、やれることが何もなくなっちゃってたので選択の余地なかったですし。
精神的にも肉体的にも大変だったんで、そういうことを考えないですむように語学に集中していた、というのもありました。

それはそうと。
とはいえ、個人的な感想としては、内科で入院したのを奇貨としてまとまった勉強をする人って、ハッキリ言って、相当のヘンタイだと思います...。マトモなニンゲンのやることじゃない。
外科ならまだともかくですが、「足が痛い」とか「腰が痛い」とかと、質が違いますからねぇ...。内科で調子悪いのって。

Posted by: kone at 2005年11月20日 10:13

徒然草
斎藤孝の著書に「使える!徒然草」というのがありますね。
徒然草には人生のエッセンスがたくさんありそうです。今度読んでみようっと

Posted by: tirolucky at 2005年11月20日 12:29

お返事遅れまくりですみません..。

徒然草、おもしろいですよね。やっぱり現代まで残ってるだけのことはあります。

こういう気の利いたエッセイを書いて、数百年先くらいまで残して読まれてみたいものです。

Posted by: kone at 2005年12月10日 04:39
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