2005年05月14日

世界最古の鋼 紀元前18世紀 500年さかのぼる発見

トルコのカマン・カレホユック遺跡で出土した紀元前18世紀(アッシリア植民地時代)の鉄片が鋼だったことが、岩手県立博物館の赤沼英男上席専門学芸員の分析で判明した。
これまで世界最古とされてきた紀元前14〜12世紀(ヒッタイト帝国時代)の鋼を約500年さかのぼる発見。

今回の発見について、中近東文化センターアナトリア考古学研究所の大村弘所長は「メソポタミアからやってきたアッシリア商人が、優れた冶金技術をヒッタイトに伝えた可能性が出てきた。ヒッタイトと鉄の関係を根本から考え直す必要がある」と話している。

鋼の精製が500年もさかのぼるようでは、はっきり言って大事件だ。かなりびっくりさせられた。


鋼とは:
鋼にふくまれる炭素は、硬さと強度をます働きをする。鋼には炭素のほかにもケイ素、マンガン、リン、硫黄といった元素が微量ふくまれており、これを鋼の5元素という。これは鋼の製造過程でどうしても入ってくる不純物である。ケイ素は鋼の硬さと硬度をまし、マンガンは焼入れ性を増大させ、強靭性をます働きがある。そのため、鋼の性質は、炭素とマンガンの含有量によってほぼ決定される。しかし、リンは鋼に偏析をおこさせやすく、低温脆性をまし、硫黄は熱間脆性(200〜300°C)をおこす有害な元素である。

アッシリア:
前3千年紀のアッシリア地方は、たいていの中東地域と同様に、南部にあるシュメール文明の影響下にあった。アッシュールの発掘によって、この時代の神殿からは、シュメールのものと非常によく似た彫像が発見されている。つづく前2300年ごろのアッシリアは、シュメール・アッカドの一部となり、その帝国が前2000年ごろ崩壊すると、アラビア砂漠からセム系の遊牧民アモリ人が侵入し、メソポタミア地域は混乱した。

そのころ、アッシリア人はメソポタミア北部で1つの勢力を形成していたと考えられており、活発な商業活動をいとなんでいた。そして、前1850年までにアッシリア商人はアナトリア(小アジア)中央部を植民化し、金、銀、織物などの交易をおこなっていた。

アッシリア:

ヒッタイト:

ここまでの出典はマイクロソフトエンカルタ


西アジアから中東一帯は、今からは考えられないくらい肥沃で生産性の高い地域だった。
古代世界の中心は、エジプトでもなく、もちろん寒冷で生産性の低いヨーロッパでもなく、紛れも無く西アジア〜中東一帯である。
というわけで、僕は熱烈西アジアファン。特にこのところ。いずれまとまった時間を作って、西アジアを旅行したい。

毎度毎度の引用だが、世界史講義録の第4回「メソポタミア文明」から。

メソポタミアに最初に文明が生まれたのは、農業生産性が非常に高かったかららしい。
 まず、麦と羊の原産地だった。そして、この麦の収穫量が非常に高かった。1粒の麦を播いて、20倍から80倍の収穫があったといわれています。
 これが、どのくらいすごいかというと、19世紀のヨーロッパで麦の収穫は播種量の5、6倍くらい、現代でもヨーロッパで15倍から16倍、アメリカで23倍という数字があります。
 だから、現代と同じかそれ以上の収穫があったというわけだ。たくさん穫れれば、余裕も生まれる。その余裕が、後世に残る文明を生み出したのでしょう。
 ちなみに、日本の米はどうかというと、江戸時代は30から40倍、今は110倍から144倍です。

この回、その後の「もののけ姫」と「ギルガメシュ叙事詩」との関連についての話も見逃せません。
絶対読むべし。


それにしても、さいきん本当に人文科学好きだな(←自分)

Posted by kone at 2005年05月14日 07:23 | トラックバック
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