2005年04月30日

学習の転移

学習の転移とは、先行学習と後続学習との間で、相互になんらかの影響をおよぼす作用のことである。
例えば、英語をマスターした人は、新しくドイツ語を習得しようとするとき、英語をマスターするのに要した時間よりも、はるかに少ない時間で習得できる。

ところで、学習の転移は、学習の転移は、先行学習と後続学習の相互関係とその効果の正負により、大きく4種類に分けられる。

・順向性促進
先行学習が後続学習にプラスの影響を与える場合

・順向性干渉
先行学習が後続学習にマイナスの影響を与える場合

・逆向性促進
後続学習が先行学習にマイナスの影響を与える場合

・逆向性干渉
後続学習が先行学習にプラスの影響を与える場合


同じような刺激の間では、反応の類似性が低い場合は干渉効果が生じ、反応の類似性が高い場合は促進効果が大きくなることが実験により分かった、とのこと。
語学を例に取れば、スペイン語習得者にとって、英語のつづりはどうしても紛らわしいところがあったりして覚えるのに多少苦労するところもあるが (例: スペイン語 delfi'n → 英語 dolphin、スペイン語 directio'n → 英語 direction などなど。direction に至っては、意味もやや異なる。その他、同じつづりでも発音も異なるなど。)、全体的な習得速度で言えば、何も知らない状態で英語の勉強をはじめるよりも早い。
(スペイン語とタイ語では、刺激がかなり異なるので、促進効果はスペイン語と英語ほどではない)

ブルーナーは、促進的転移を特殊的転移と非特殊的転移に二分した。
特殊的転移は、先行学習によって習得したものを、類似した場面に適用することをいうもので、適用範囲が限定されている。
これに対して非特殊的転移は、原理や態度の転移とでもいうべきもので、個々の技能ではなく一般的な観念にかかわり、これを先行学習で習得することによって、後続の学習はその一般的な観念の特殊例として対処することができる。
彼は、教育は、この非特殊的転移こそ重視すべきであると主張した。このブルーナーの考えにもとづけば、従来の実質陶冶は、特殊的転移の考え方に、また形式陶冶は、非特殊的転移の考えに近いものといえる。

参考「マイクロソフトエンカルタ 2003」

「特殊的転移」と「非特殊的転移」という分け方をしているが、単に、彼が「特殊的転移」と呼んでいるのは、より上位の概念としての学習のメソッドのことにすぎないのではないだろうか、と思った。オブジェクト指向における階層構造のようなものだ。
ブルーナーは1915年生まれとのこと。彼のころよりも学問は進歩しているはずだし、当然そういう話になっていることだろう。

ブルーナーの提唱の背景には、古くからの教育上の論点であった、形式陶冶と実質陶冶の論争があったという。
形式陶冶は、学習は転移するから、文化を習得するための一般的能力を訓練すればじゅうぶんだと考えて、実生活には役だたないラテン語や数学、修辞学などを教育すべきだとする。
これに対して実質陶冶は、学習は転移しないから、子供にとって将来必要になる実質的な学習内容を教えるべきだとする。

教育やら学習やらをpanadea的な上位概念として昇華させて、それを追及するべきだという考え方は、なんというか、いかにも理想主義的で教育至上論者的だ。
学習は転移しないと主張する輩は輩で、そんなことを学会で主張するに至るまでどうやって勉強してきたのか非常に不思議だ。

なんでもいいから、やりたいことをトコトンやればそれでいいのではないだろうか。

Posted by kone at 2005年04月30日 07:07 | トラックバック
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