観自在菩薩

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「観自在菩薩」という言葉は釈尊の修行の象徴で、自在に観察できる、つまり、仏教では主体と客体の区別をしないので、あらゆるものと完全に一体化できる存在(存在というと主客が発生してしまうが)といった意味だ。
で、ついこのあいだ、あるメーリングリストで知り合った方とそんな関係ことについてDMをしているとき、人間以外に「観自在菩薩」たり得るものはないだろうかと考えていて、インドネシアあたりの海に暮らしている「ミミック・オクトパス」という生き物がそれに近いということに気がついた。

この「ミミック・オクトパス」という生き物。
見通しのよい浅瀬の砂地に住むタコなのだが、そういうところで生き延びていくため普段から他の生き物をよく観察していて、獲物を襲うときは油断させるために弱い生き物に化けて近づき、敵の目を惑わすには強い生き物、大きい生き物のマネをしてやりすごすといったことをしている変わったタコなのだ。

昔、このタコについて、ちょっとエッセイを書いたことがある。
http://www.konesite.com/television/

こういう生き物って、ある意味「観自在菩薩」ではないだろうか。

人間以外の生き物がどれだけ高い精神性を持っているのかは分からない。
飯田史彦さん「生きがい」シリーズではこの世に生まれてきて修行をくり返しているのは人間だけで犬が人間に生まれ変わったり人間が犬に生まれ変わったりはしないとしている。「引き寄せの法則」でも、私たちが次回は動物に生まれ変わるといったことはないとエイブラハムが言っていたように思う。

だが、時として、僕は、動物にはかなり高度な精神性があるのではないかと思わざるを得ないことがある。

先日偶然見かけた、ライオンに襲われた子供を助けるバッファローの群れの動画を見ていて、やはりそう思った。
http://jp.youtube.com/watch?v=eFAdcHPstdc

自分はどこから来たのだろう。自分はどこの何の延長で、何の投影なんだろう。

諸法空相。五蘊皆空。色不異空、空不異色。色即是空、空即是色。

そうとは分かっているし、色不異空なら考えてもある意味仕方ない。

それでも、精神世界の向こうにある高次元のことと物質世界の有機生命体のことを僕はときどき同時に考えてしまう。
そして、やはりその都度「よく分からん」で終わってしまう。

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このページは、koneが2008年6月22日 22:24に書いたブログ記事です。

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