2008年5月アーカイブ

Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.

Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -

und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.

ICH BIN ich und DU BIST du -

und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,

wenn nicht, dann ist auch das gut so.

 

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


フレデリック・パールズ「ゲシュタルトの祈り」
翻訳は http://www.ieji.org/archive/das-gestalt.html から。

 

早いもので、3月から通い始めた日本メンタルヘルス協会の心理学講座基礎コースも、あと2回で終了だ。

前回の講座は、「トラブルを解決する」

内容的には、カール・ロジャース、I messageと続いてきたものの続編にあたる、というもの。

この2つの講座で教わったこと、非常に中身が濃くて書けるようなものではないのだが(というか、ここの講座の内容は、毎回非常に濃い (^^; )、おもいきってざっくり要約してみると、およそこんな感じ。

カールロジャース: 相手の問題で相手が悩んでいるとき
・問題を抱えているのは相手
・相手の問題を相手の問題として対処する
・自分の問題として扱わない
・解決を導き出す力は相手にあるはずなので、それを引き出すようにする
・アドバイスするなんて、基本的にもってのほか

I message: 相手の行動で自分が影響を受けているとき
・問題を抱えているのは(例え人の行動の影響ではあるが、あくまでも)自分
・「自分にどういう環境的影響があり、自分はどうは困っているのか」ということを正直に伝える(そのとき、相手の行動を責めない)
ケース:子供が居間で大音量でステレオを鳴らしている。おかげで自分は本を読めない
悪いやり方:
・「うるさいから音を小さくしなさい」と言う
・「部屋に戻って勉強しなさい」と言う
良いやり方:
・「君がこうしてステレオを大音量で鳴らしていると、明日までに読まなくてはならないこの本を読むことができなくて、僕は大変なんだ」
→すると、相手の子供は、迷惑にならないような行動を自分で考えて(←これが大事。押しつけではない)実行してくれる

このあたりの考え方については、衛藤信之先生著「心時代の夜明け」、「上司の心理学」などで触れられているので、ご興味ある方はこちらを。
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で、今回の講座は、そもそも価値観が対立していてどうしようもないというときどうするかという話。

つまり、
・夫婦で宗教が違う
・子供がタバコをやめない
・子供が家業を継がないと言い出した
・子供が親の意図に沿わない結婚をすると言い出した
・子供がアルカイダに入ると言い出した
などなどのケース。

いくつかの考え方、対処例が講義で出てきたのだが、いちばん最後に衛藤先生から出てきたのが、「最後は愛と祈りだ」という話だった。

価値観が対立している相手も一個の人格と見て、離別感を持ってその考えを尊重できるか。「そんなに言うのなら、見極めてこい。何かあったら戻ってこい」と言える度量があるか。

もしもそれがあるのであれば、一度出て行った人間も、戻りたいと思ったときに戻れるかもしれない。

衛藤先生自身、オウム真理教の離脱カウンセリングをしたとき、「疑問に思うこともあったけど、家を出るとき激しい言い合いになった挙げ句に飛び出してしまったから、もう戻れなかった。」という信者を何人も見てきたそうだ。

価値観の対立による衝突があったとき、自分自身の人間性、価値観も試される。

自分は相手が尊敬できるようなロールモデルになっているか。自分は口先ばかり、人には要求ばかりというような人間ではないか
その人に自分の持っている価値観を理解してもらいたいために、どこまでの準備ができるか。相手が身内だと思って、甘えたりはしていないか
自分の価値観の内容についてきちんと検証したのか。その価値観は、誰に植え付けられたものか。それは未来永劫正しいことなのか。
自分は、相手をどこまで信じることができるか。相手の人生を相手の人生として尊重できているか。

正直、これまでにメンヘルで受けてきた講座の中で、いちばん耳に痛いことが多く、考えさせられた講義だった。
いつもどおり大笑いしている時間も多かったが、自分の体験を思い出しながらじっと聴いている時間も多かった。

 

ひさしぶりに、講義の後、食事会に行った。

その席で、正面に座られた僕より年配のサラリーマン風の方から、最近枝廣淳子さんにお会いしたという話が出てきた。

で、「朝二時起きで、なんでもできる!」の冒頭で出てきた一編の詩を思い出した。
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当時はゲシュタルトのことは知らないで読んでいたのだが、今思い出すに、あれは、ゲシュタルトの祈りだったのではないだろうか。なんか、同じような内容だった気がする。

自分は、自分の人生を生きているだろうか。
自分は、人の人生を尊重できているだろうか。
自分は、自分の人生に人から干渉してもらうことを期待しすぎていないだろうか。
自分は、親しい人を含めて自分のまわりの人と離別感を持てているだろうか。

食事会の後、自由が丘から渋谷に向かう帰りの東横線の車内で、そんなことについて、しばらく考えていた。

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